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漁港
天然の湾をそのまま漁港にしたところなのだが…

はじめは橋の近くのなぞの山が何なのかわからなかった














どういう風に家が建っていたのか
わからない








橋のたもとの山は、
津波で壊された残骸が集められた山だった
集められ、そして処分場へ運ぶトラックがどんどんやってくる
さまざまな場所のナンバーのトラックたちで
この作業に来てくださっている運転手さんたち、
重機の操縦の方々には ただただ頭が下がる
















普段は橋を渡って海水浴場やサイクルセンター
(チームの定例会をやったりする)にいけるのだが、
危ないだろうし、山の隣が橋なので入っていかない

この天然の湾が堤防の役目もあったんだけどなぁ…














市営住宅
避難所で3日目に足を痛めたおばあさんが来たんだけど、
この市営住宅の3階に住んでいて、
足が悪いから地震後逃げなかったから逆に助かったんだ、
避難したら 小学校に着く前に津波に飲まれてたねぇ
といっていた。
1人暮らしの方で、救助されるまでずっと家にいたらしく
毛布とかダンボールとかで寝る場所セットしてあげたら、
話が止まらなくなって 私も避難所ではボランティアするぐらいしか
することがないから話を聞いていたんだけど

あのおばあさんが言っていた意味が ようやく理解できた

2階までは津波の被害があるが、3階はうけていない


この地域は富山から派遣された消防・レスキューが入ったらしく、
指示や確認のためのペイントがちらほらあった
















数箇所、「RSA」というペイントと日にちが
調べてみたら、南アフリカ共和国らしい
そういえば、救援隊として来ていましたね
ゆりあげにも来てたみたいだ

記念…というかなんというのかな
状況写真としてのペイントですね
別の場所にはフランスのもありました
フランスのはもっと内陸側で、
それはフランスの救援部隊が来た時は
そこまでしか入れなかったということだと思います

こりゃ、状況写真として撮影するわ…










橋から見えたバス
右の方の黄色の建物が老人ホーム
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